インディアンは極悪非道の殺人者だ

インディアンは極悪非道の殺人者だ

はじめに

 まず、この記事は私の個人的な考えを示すものであり、読んだ方に意見を押し付けるものではありません。

そして、この記事を読むことによって大変不愉快な思いをする可能性がありますので、をの点をご了承いただける方のみご覧ください。

『カッコーの巣の上で』という映画がある

こまかなあらすじはネットで検索してもらうとして、大幅に省くが、ジャック・ニコルソン演じる主人公「マクマーフィー」が、刑務所から逃れるために精神病を偽り、精神病院に入院するも、最終的にロボトミー手術によって廃人となり、同じく詐病で入院していたインディアンの「チーフ」により枕で窒息死させられるという結末を迎える。

 

 チーフが精神病院や自らの心の中の鳥かごから飛び立つ姿を描いており、私が知る限りでは非常に評価の高い作品だ。

 

 だが、少し考えてほしい。どんな理由があろうと、チーフは殺人を犯したのだ。

死によって自由へと開放したかったのだろうというレビューもあったが、どんな理由があれ殺人を正当化すべきではない。

死による開放など、独善的で盲目的な犯罪者の言い分に過ぎない。

驚くべきことに、そういった論調のレビューなどは自分の知る限り見かけなかった。

 

 チーフの行動は一見、マクマーフィーへの思いやりや哀れみから、人としての尊厳を尊重したようにも見えるが、 それは歪んだ優生思想が根底にあるのではないだろうか。

 

マクマーフィー本人が「殺してくれ」と言ったか?

彼の姿を見て、「哀れだ」と心の中で見下していたのではないか?

マクマーフィーへの思いやりがあったとして、ころす必要はなかったのではないか?

生きることに理由などいるのか?

ころすなど極端すぎる選択ではないのか?

ドラマチックで感動的に描かれてはいるが、

単に殺人を正当化しているのではないか?

 

  チーフはある種の「確信犯」と言えるのではないだろうか。やっていることは極悪非道な殺人であるのに、そうすることが正しいと信じているのだ。

 

本作は感動的な映画と言われているが、実際は殺人を正当化したおぞましい映画なのだ。

ネタばらし

 早速ですが、今まで書いた内容は嘘です。 「カッコーの巣の上で」は素晴らしい作品だと思っています。

ではなぜこんな嘘を書いたのかというと、ふとこの作品を思い出したときに、津久井やまゆり園の事件が思い浮かんだからです。

 

 チーフと植松は同じ思考で殺人に至ったわけではないですが、植松の言う「心失者」がロボトミー術後のマクマーフィーのような存在を指している際、彼らの行いの決定的な違いとは何なのでしょうか?

 

 被害者との関係?

  チーフが元看護師で、植松が被害者の一人の身内だったら?

 

 殺した人数?

  仮にチーフがロボトミーを受けた人を19人殺害し、植松が1人を殺害していたら?

 

   もちろん一番違うのは植松の語る「心失者」への圧倒的な差別意識でしょうが、結局のところ健常でない人間を殺したという意味ではチーフも植松も同じ罪を犯しているのではないでしょうか。

尤も、植松は尊厳がどうというよりも、社会にとって重荷でしかない、税金などの無駄遣いというような思想から至った犯行だと思います。 ですが仮に、植松が「被害者の人としての尊厳を守るために殺したのだ」と言った場合、世間はどのように受け止めるのでしょうか?

 

   私が「カッコーの巣の上で」を批判しないのは、実のところ尊厳を守る意味での「死」という方法を否定できないからです。

 

   私は事故や病、老いによって自分さえ認識できないようになり、ただ鼓動を打つ心臓を持つ肉の塊と成り果てるのであれば、命を絶ってほしいと思います。

 

ただし、ただしです。 これは個人的に難しいポイントだと思うのですが、植松は声をかけて返事をしなかった人を「心失者」とみなし殺害したという事です。

ですが、呼びかけに応えなかったからといって、その人は心を失っていたのでしょうか?

外見上心を失っているように見えても、そうとは限らない場合もあるでしょう。

全身まひのヘレン・ケラーへ

 極端な例えですが、ヘレン・ケラーが全身まひになった場合、植松は「心失者」と呼ぶのでしょうか?

少なくとも、私はその状態の彼女を「心を失っている」とは思いませんし、ころすべきだとも思いません。

 

これから科学が進めば、脳波や神経への直接接続によって、機械などを操作できる時代がやってくると思います。

その時には全身まひのヘレン・ケラーも他者とコミュニケーションをとることができ、心を失っていないことが証明されるでしょう。

 

その時代にあっても意思疎通が不可能な人については、尊厳死という選択もあるかと思っています。

さいごに

 この記事は、決して植松の犯した犯罪を擁護するものではありませんし、彼の唱える思想に同意を示すものでもありません。

ただ、彼の犯した犯罪をきっかけに「尊厳を守るための死」というものについて考えさせられたために、思いのままを書いたものです。

 

 この記事を読んで、不快な気持ちになる方もいるかと思いますが、あくまで視野の狭い一人の人間の戯言と受け流して頂ければと思います。

 

 すべての人々が尊厳を保つことのできる社会が来ることを願っています。

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コメント

  1. これを読んで頂いた方、私も色々な意見を聞きたいので自由にコメントして頂きたいと思います。

    ※ただし、コメント返しはしませんのであしからず。

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